三並義忠:妻と子に支えられ自動炊飯器を開発

日常生活

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【記事内容訂正 2015年7月27日】

昨日、この三並義忠氏の記事の内容に関して、親族の方より間違いがあることをご指摘いただきました。それにより、第2章の山田氏との出会いの章を全文訂正線入り削除し、第3章の文章中に入っていた「山田」氏の名前を削除させて頂きました。

事実と異なる内容を記載しましたこと、ここにお詫び申し上げます。

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私達日本人は太古の昔より、お米を食べて生活してきました。昔学校で習ったはずですがすっかり忘れてしまっている稲作が始まった時代・・・ものの本によると縄文時代後期ぐらいから日本では稲作が始まったとされているそうで・・・

そうなると私達日本人は「お米」とよばれる穀物を2000年以上も食べ続けてきていることになります。このほとんどの期間、日本人はかまどなどで火をおこし、お米を炊いていました。

それが、今から半世紀ほど前に米食を主とする私達日本人にとって画期的な家電製品「自動炊飯器」がこの世に登場しまいた。この自動炊飯器を創りだした三並義忠(ミナミ ヨシタダ)という人物について今回はご紹介していきます。

全ては三並が経営していた工場の経営危機から始まった

この自動炊飯器の開発者、三並義忠(ミナミ ヨシタダ)さんは以前NHKの「プロジェクトX」で取り上げられています。この番組をご覧になったことがある方であれば、ご存知かと思いますが大抵この番組に登場される方の話の冒頭のくだりは、なんらかの苦境や危機というものが多いです。

三並さんの場合もご多分にもれず自ら経営していた町工場の倒産の危機が自動炊飯器開発の口火をきることになっています。この倒産の危機を何とか打破するために三並さんは現在の家電メーカー大手東芝に足を運ばれます。

運命の人、東芝の山田正吾氏との出会い

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【訂正 2015年7月27日】
三並氏のご親族の方からのご指摘により、この章の山田氏との内容については大きく事実とは異なった内容となっているので、全文に訂正線を入れさせて頂きました。
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当時の東芝では既に、自動炊飯器の開発を強く願っていた人物がいました。生まれ持ってのセールスマン気質の人、山田正吾という人物です。山田氏は当時の日本の家庭の主婦が毎日の米炊きに、その多くの時間と労力を費やしている事に気づいていて会社の上層部に自動炊飯器の早急な開発を懇願していたそうです。

しかし、その頃すでに三菱電機や松下電器などが開発に失敗していて業界的に自動炊飯器の開発は無理だという空気が流れていたそうです。ちょうどその頃東芝に何か自社で出来る仕事がないかと足を運んだのが、会社が倒産の危機に瀕していた三並義忠氏その人だったわけです。

東芝の山田氏はすでに三並氏が経営していた光伸社が電気温水器をアメリカ進駐軍におさめていて、電熱器関連のノウハウを持っていることを知っていたので、社内で通らなかった「自動炊飯器」の開発を三並氏に持ちかけました。

三並さんは会社の倒産を防ぐのに必死だったので、渡りに船と山田氏の話にのったわけです。そこから、三並家の壮絶な自動炊飯器開発がスタートするわけでした。

妻の風美子さん、お子さん達と家族一眼となっての苦難の炊飯器開発

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【訂正 2015年7月27日】
三並氏のご親族の方からのご指摘により、この章の文章中にあった「山田氏」の名前を削除させていただきました。
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当時の日本の主婦が最も必要としていた「自動炊飯器」の開発に乗り出した三並氏ですが、大手の家電メーカー三菱や松下が匙を投げた代物です、そこから想像を絶する苦悩の日々が待っていました。

最初の難題だったのが、いかにして自動的にお米を炊きあげている電源をストップさせるかでした。

電気釜の中の水と一緒にセットされたお米が100度に達した状態で20分間焚き上げられ・・・・その後、自動的に電気をストップさせる仕組みをどうするかが「自動炊飯器」の第一関門だったそうです。これは、バイメタルという性質が違う金属を2枚張り合わせた素材を用いることにより解決。

性質が違う金属なので、温度が上がっていくと膨張する速度が違って片方はよく膨張し、片方は膨張スピードが遅いために金属板が「反りかえる」という状態になり、これを通電して100度になった20分後に自動的に通電をストップさせるしくみに用いた訳です。

しかし、この難題をクリアしたあとにさらなる難題に直面しました。東芝のから、南北長く四季がある日本、寒い北国でも、南国の温かいところでもしっかりご飯が炊ける自動炊飯器でないと売れないとの指摘が・・・。

それで、三並氏の妻の風美子さんやお子さん達がこの自動炊飯器の開発のために家族一眼となって取り組むことに・・・。しかし、暑い場所での実験は成功したものの寒い場所では上手くご飯が炊けない問題に直面しました。この頃に、寒さに耐えながら温度管理などをやられていた妻風美子さんが体調を崩されたとのこと。そのあとを長男さんが引き継いで三並氏の開発の右腕となって頑張られたそうです。

しかし、自らの会社も工場、自宅などが開発資金の担保となってとても切羽詰まった状態だったそうです。その時、東芝のほうから寒い場所でもご飯がたける炊飯器のヒントを出してこられました。冬場の北海道では昔から釜でご飯をたくときにブリキなどを使って釜を覆い熱が逃げないようにしてご飯を炊いていたことが大きなヒントとなったようです。

そのことにより、釜の断熱性、保温性を上げるために釜の構造を3重にするアイデアを取り入れました。空気の層で熱が逃げないようにする算段です。これが、うまくいき世界で初めてとなる自動炊飯器がこの世に出来たわけです。

この三並さんが開発された自動炊飯器は炊飯という家事から家庭の主婦たちを開放してくれた、まさに画期的な家電だったと思います。

第二、第三の三並家が今の日本には必要なのでは?

この三並義忠氏の自動炊飯器開発秘話を紐解くと、かつて家電大国と呼ばれていた日本の源流となるものを見るように思います。そんな日本も、現在家電メーカーが軒並み元気がありません。

技術大国日本とあれほどまでに言われていた日本は最近とんと影を潜めてしまった感があります。三並さんが炊飯器を開発された頃の日本は、敗戦後食べ物も満足にない大変な時期でした。お米も配給だったものを、炊飯器の開発のために闇米を手に入れてまで開発に使っていたそうで・・・。

あの時代を思うと今は食べ物も豊富にあり、様々な情報も簡単に手に入る時代になっています。今の日本で世界初の何かを作り上げるのに足りないもの・・・それは「物づくりの情熱」ではないでしょうか?

三並義忠はじめ、井深大、松下幸之助、本田宗一郎などといった先達が現在生きていたら、現在の日本のモノ作りをどのように評されるでしょうか?きっと憂いの言葉が返ってくるのではと想像します。

それを思うと、今の日本には第二、第三の三並家のような家庭が必要のような気がしますが・・・家族一眼となってモノづくりってもうこれからの時代ありえないのでしょうか?

※三並義忠氏,妻風美子さんお子さん達の開発にかけた情熱が描かれているプロジェクトX

 

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コメント

  1. 三並 親史 より:

     私は三並義忠の三男です、記載されている内容に一部誤りがありますので、連絡いたします。東芝の窓口担当者は山田省吾さんでしたが、実際の指揮を執っていた方は家電事業部の松本尚茂部長です。松本部長との出会いは進駐軍に納入する電気温水器の設計コンペで当時は三井物産にお勤めでした。コンペの結果町工場の光伸社が並居る大企業(東芝、三菱電機、石川島播磨、山武などの)を押しのけて電気温水器を受注した時にさかのぼります。当時はライバル関係にありました。そこで以前に面識のあった松本部長に何か良い仕事はないか相談に行きそこで自動式の電気釜の提案を受けました。山田さんは松本部長の部下で連絡窓口として働いておられました。したがって東芝のアイデアは全て松本部長によるものであり決して山田さんからのものではありません。当時の東芝では一営業マンが開発に口をはさむなど決してありませんでした。山田さんは営業では色々とご活躍したと思いますが、技術的な事では一切かかわりありません。

    • 管理人 より:

      この度は、記事の内容の間違いをご指摘いただき有り難うございます。
      また、誤った内容の記事を書いてしまった事をこの場をかりお詫び申し上げます。

      今回、ご指摘いただき以下の点を訂正させて頂きました。

      (1)記事冒頭に内容に誤りがあったことを記載。

      (2)第2章の山田氏との出会いの部分に訂正線を入れ、その旨、章の冒頭に訂正したことを記載。

      (3)第3章の山田氏の名前が入っていた箇所を削除。

      以上、訂正させて頂きました。

      他に内容について誤りや訂正が必要な箇所がある場合は、お手数ですが再度ご連絡いただければと存じます。

  2. 宮住冨士夫 より:

    私は愛媛県松山市の年金生活者です。川崎の東芝記念館で第一号も見ました。三並義忠様の偉業には心から敬服しております。ご三男が健在と知り、うれしい限りです。私は昭和30年代、母が長期入院したため、電気釜は救いの神でした。さて三並様は「愛媛県出身」としか報じておられず、素晴らしい発明が郷土では知られておりません。三並様のご出生地、出身学校など分かりませんか?哲学者・三並良(はじめ、正岡子規のいとこ半)が松山市湊町出身なので、私は三並義忠様が「松山市湊町辺りの出身、松山工業学校卒ではないか」と推定していますが。

    • 管理人 より:

      宮住様コメントありがとうございます。

      さて、ご質問の三並義忠氏の出身地や出身校について
      ですが、私も再度調べてみたのですがネット上にはやはり
      「愛媛県出身」までしか情報が出てないようですね。

      それで、三並義忠氏に関する書籍がないか調べてみました
      国会図書館で以下の2冊を見つけもしかしたら手がかりに
      なる情報があるやもしれません。

      (1)
      書 名:『発明の技術 : 創造に生きる企業家の体験秘話』
      著者名:布川周二,坂根鶴夫
      出版社:叢文社
      出版年:1967年
      <国会図書館の情報掲載ページ>
      http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000755068-00

      (2)
      書 名:実業界 新年(159)
      著者名:実業界 [編]
      出版社:実業界
      出版年:1960年1月
      <国会図書館の情報掲載ページ>
      http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001069415-00

      上記の2冊になります。いずれも50年ほど昔の本ですので
      一般には手に入りにくい本ではないかと思われます。ですので
      国会図書館でも貸出禁止で、管内での閲覧のみとなっている
      ようです。

      あと(1)の本に関しては以下のページに目次の詳細が
      掲載されていて、そこから判断すると「台所の革命児」と
      いう項目に三並氏の情報が書かれているのではないかと
      思われます。

      http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001069415-00

      (2)の方は経済誌のようで、48~49ページに
      三並氏の会社「光伸社」に関する記事が書かれている
      ようです。
      「光伸社労使の泥沼斗争」 / 土井良

      あと、最初にコメントを頂いた三並氏のご三男さんが
      このコメントを再度ご覧になって、コメントして頂ける
      のが一番ベストなのでしょうが・・・。

      あまりお役にたてず申し訳ございません。

  3. 宮住冨士夫 より:

    ご丁寧なアドバイス、誠にありがとうございました。偉人・三並義忠さんがなぜこんな大発明をされたのか、引き続き背景を調べたいと存じます。モノづくりの大切さについて、本田宗一郎「ざっくばらん」(PHP研究所、本体1000円、2008年)を皆様にお勧めしたいと存じます。本田宗一郎本は、ほとんどライターが取材したものですが、本書は1960年に宗一郎自身が書きおろした、彼のいわば肉声です。ご参考までに。

    • pochi01 より:

      「モノづくり」と言いますと、現在毎週日曜日の夜9時から
      TBSテレビで「下町ロケット」というドラマが放送されていて、
      私はこのドラマにはまっております。

      普段全くドラマなど見ないのですが、「モノづくり」の
      大切さをあらためて感じている次第です。

      来週最終回となりますが、「モノづくり日本」を近い
      将来再度世界に広めるべく、三並氏や本田宗一郎氏の
      残してくれたものを私も再確認させて頂こうと思っております。

      ご紹介頂きました本田宗一郎の本、機会があれば入手
      して読んでみたいと思います。ありがとうございました。

  4. 片上 学(ハンドルネーム よもだ がくさん) より:

     三並義忠についてです。
     同氏についての正確な情報か確信は持てませんが、昭和22年生まれの小生が愛媛県新居浜市中萩小時代、昭和30年代前半に東京(三多摩方面?)で電気釜事業で成功した小学先輩から相当高価と思われるテレビ(東芝製)が寄贈され、校長室に置かれていた記憶があります。
     寄贈者の氏名は記憶がありませんが、状況を総合すると同氏ではないかと推認しています。
     なお、昭和41,2年ころ、同郷で大学に進学するも中退し、電気釜の会社に就職
    した者がいました。同氏が立ち上げた会社ではないでしょうか。

    • pochi01 より:

      よもだ様

      貴重な情報をコメントいただきありがとうございます。
      この記事に関しては、三並氏のご親族の方からも
      コメントをいただき、氏に関する情報にいくばくか
      貢献できたかなと思っている次第です。